マストドン昔話・アーカイブス

マストドン原住民とツイッター難民の闘いの歴史を保管する貴重なアーカイブ

マストドン昔話:原住民の膣(肛門)

マストドン原住民が膣を自覚したのは天正15年、つま西暦にしてB.D.874年のことであり、このころにはコロンブス喜望峰回りの航路を発見し、世界の貿易構造が大きく変わろうとしていた。マストドン原住民たちは自らのクリトリス(陰茎)をしごいて自慰行為を行っていたが、この頃欲求不満に陥り、大飢饉が発生した。これに危機感を覚えた祈祷師は大便の定量的分析からマストドン原住民の臀部に膣(肛門)があることを突き止めた。これがいわゆる産業革命と呼ばれる。この革命により蓄音機が発明され、その発明者であるニコラ・テスラは「膣はピンクかった」という名言を残した。マストドン原住民たちはトゥートと呼ばれる儀式を行いながら膣(肛門)を執拗に弄り、最終的に破壊したので、ウィーン会議ツイッターの承認が決定された。これは大便器のフチにウンコを付けることを禁止するのと引き換えであった。その後ツイッター難民の流入によりイラク戦争が勃発し、世界貿易センターが崩壊した。この事件により多数のマストドン原住民の膣(肛門)が犠牲になり、これを契機として国際連盟が発足した事はよく知られている。


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